元号→西暦の変換に悩む人に贈る「元号」の話(その2)
前回では、元号計算において覚えておくと便利なことを平成〜明治について書きました。
今回はさらに遡って、明治より前の元号について書きたいと思います。
というのも、老舗なんかにある「寛永 ○○ 年創業」っていうのを見ても元号が古すぎて凄さがあまりイメージできないことに長年苛まれていたので、一念発起して調べた次第です。
前回と違って、和暦 → 西暦への正確な変換を目的をするのでなく、和暦を聞いて具体的な年代をイメージすることに重きを置いています。
よって、人によっては知ったところであまり意味はないかも。
はじめに
おことわり
今までに制定された元号の数は、645 年制定の「大化」から合計 250 個近くにのぼります。そのため、その全てを取り扱うわけがない点をご了承願います。
「○○ 年創業」のイメージを掴みたいという超個人的な欲求が生んだ記事にすぎないので、ざっくり江戸中期くらい(ざっくり 1750 年ごろ)までを扱って終わります。(それでも 15 個以上あって死にたくなりました)
新暦と旧暦
現在の日本(てかほとんどの国)では、地球の公転周期に基づいて 1 年=365 日 or366 日と定められる太陽暦(グレゴリオ暦)が用いられています。この暦は年の表記に西暦が用いられ、ヨーロッパのカトリック諸国では 1500 年代後半からずっと現役です。
一方、明治 5 年以前の日本では、月の満ち欠けの周期(約 29.5 日)に基づいて 1 か月が定められる太陰暦が用いられていました。この方法では 1 年の日数が少なすぎるために季節と月のズレがどんどん大きくなるので、太陽とのズレが 1 ヶ月分になる約 3 年に一度、1 年を 12 か月 →13 か月に増やしてこれを補います。つまり、1 年が約 354 日だったり、約 384 日だったりするわけです。(結局太陽の動きも考慮に入れる暦なので太陽太陰暦と呼ばれます)
そのため、現在の暦と当時の暦では、1 年の日数に大きな開きが見られ、当然ながら当時の和暦と現在の 1 年を正確に対応づけることが難しくなります。例えば、慶応 3 年は 1/1〜12/30 までですが、これを現在の暦に直すと、1867 年 2/5〜12/26 になります。
以上のことから、これから扱う西暦は当時の 1 年に半ば無理矢理当てはめたものであり、現在用いられているグレゴリオ暦とちょっぴり異なる点に注意してください。まあ、巷に溢れる大体の資料はそんなことについて何の説明もなく当たり前のように「天保元年(1830 年)」とか書いているのですけどね(グレゴリオ暦の 1830 年はまだ「天保」でない)
さあ行きましょうか
慶応(けいおう:1865年〜1868年)
明治の 1 個手前の元号。慶応 4 年で終わりましたが、明治への改元の際に慶応 4 年は丸ごと明治元年にされました。当時の天皇は孝明天皇。
坂本龍馬が亡くなったり、夏目漱石が生まれたのは慶応年間です。
また、慶應義塾大学の名前はここからきています。ネーミングセンスが「平成教育委員会」と同じだな。(塾そのものができたのは 1858 年=安政 5 年らしいです)
元治(げんじ:1864年〜1865年)
甲子(きのえ-ね)の年だから改元。明治以前は天皇の代に関わらず改元がどんどん行われており、改元するタイミングみたいなものも伝統的に決まっていました。当時の天皇は慶応と同じく孝明天皇。2 年しか続かなかった悲しい年号です。
京都の小林工務店は元治元年創業です。(創業元治元年 小林工務店)
文久(ぶんきゅう:1861年〜1864年)
辛酉(かのと-とり)の年だから改元。元治と似たような理由です。当時の天皇はやっぱり孝明天皇。こちらは 4 年で終了です。改元する伝統があるから仕方ない。
新渡戸稲造が生まれたり、リンカーンが奴隷解放宣言を布告したりしたのはこの時期。
東京九段下の寿司屋「寿司政」は文久元年創業です。(老舗すしや:九段下"寿司政"1861 年(文久元年)創業)
万延(まんえん:1860年〜1861年)
翌年に改元することを分かっていながらも改元するなんて、孝明天皇は当時の混乱にさぞかし焦っておられたのでしょう。11 ヶ月で終了ですありがとうございました。
アメリカで南北戦争が始まったのはこの時期です。
秋田の稲庭うどん屋、佐藤養助商店は万延元年創業です。(稲庭うどん 佐藤養助商店 Top ページ)
安政(あんせい:1854年〜1860年)
暦の違いでグレゴリオ暦では 1855 年スタート。政治も地盤も揺れ動いた時期です。全国では地震が相次ぎ(安政の大地震)、日米修好通商条約や桜田門外の変などが起きた年間です。コレラが流行したのもこの時。孝明天皇お疲れ様です。
印鑑のハン六は安政 5 年創業です。(ハン六のホームページ 創業安政五年(1858 年)の印鑑・印刷専門店)
嘉永(かえい:1848年〜1855年)
孝明天皇の即位(1846 年)に伴い 1848 年に改元。計 6 回も改元した孝明天皇は、江戸時代の中では最も多く改元しています。激動の時代ゆえのことですね。
各地で相次いだ「安政の大地震」の中には嘉永末期に発生したものもあります。黒船来航や日米和親条約の締結はこの時期。
大阪の昆布屋、小倉屋山本は嘉永元年創業です。(【御昆布司】小倉屋山本)
弘化(こうか:1844年〜1848年)
仁孝天皇が改元。日本では歴史的なイベントが特に起きなかった年間です。海外では海王星の発見(1846 年)がありました。
沖縄最古の蔵元とされる新里酒造は弘化 3 年の創業です。(泡盛のお取り寄せ沖縄最古の蔵元新里酒造)
天保(てんぽう:1830年〜1844年)
暦の違いによりグレゴリオ暦では 1831 年スタート。天保の飢饉(天保 4 年)や、それに対する幕府の対応に怒った市民が引き起こした大塩平八郎の乱(天保 7 年)、有名な天保の改革など、江戸幕府のオワコン感を臭わせるイベントがあった年間です。
埼玉の川越にある鰻屋いちのやは天保 3 年創業です。(うなぎの老舗「いちのや」)
文政(ぶんせい:1818年〜1830年)
仁孝天皇の即位(1817 年)に伴い改元。異国船打払令が出されたのはこの年間(文政 8 年)。伊能忠敬が亡くなり、勝海舟が生まれました。
茨城にある和菓子屋である丸三老舗は文政 5 年の創業です。(創業文政五年 鹿島菓匠 丸三老舗)
文化(ぶんか:1804年〜1818年)
甲子(きのえ-ね)の年だから改元。当時の天皇は光格天皇です。
文化年間と文政年間は、歴史で習う「化政文化」の元ネタで、歌舞伎などの町民文化が最も盛り上がった時期です。
清水建設は文化元年の創業です。(会社沿革/企業情報 − 清水建設)
享和(きょうわ:1801年〜1804年)
辛酉(かのと-とり)の年だから改元。当時の天皇は光格天皇です。歴史の教科書における化政文化のページでよく登場する、十返者一九の『東海道中膝栗毛』はこの年間に登場しました。同じく割とよく出る国学者の本居宣長は、化政時代を迎えることなく、享和元年に亡くなりました。
京都の和菓子屋、亀屋重久は享和 2 年の創業です。(亀屋重久 京都妙心寺北門前)
寛政(かんせい:1789年〜1801年)
当時の天皇はやっぱり光格天皇。改元の数ヶ月後にフランスでは革命が巻き起こります。12 年も続いただけあって日本でもイベントいっぱい。寛政の改革はもちろんのこと、浮世絵で有名な東洲斎写楽の登場(活動期間はわずか 10 ヶ月!)や、伊能忠敬の蝦夷地(北海道)測量は寛政年間の出来事です。
京都の茶屋、福寿園は寛永 2 年創業です。(創業寛政二年 福寿園)
天明(てんめい:1781年〜1789年)
光格天皇の即位に伴い改元。天明 2 年より生じた天明の大飢饉を嚆矢として、田沼意次の失脚、天明の打ちこわしなどが起きた激動の時代。その上、天明 8 年には天明の大火が発生し、京都の街は大半が灰になりました。
武田薬品工業は天明元年の創業です。(タケダの歴史)
安永(あんえい:1772年〜1781年)
満 21 歳の若さで崩御された後桃園天皇による唯一の改元。 杉田玄白の『解体新書』の刊行は安永 3 年、エレキテルでお馴染みの天才、平賀源内の逝去は安永 8 年のことです。
東京最古の銭湯と言われる江戸川区のあけぼの湯は安永 2 年の創業です。(あけぼの湯/東京の観光公式サイト GO TOKYO)
明和(めいわ:1764年〜1772年)
現在に至るまでで最後の女性天皇である後桜町天皇の即位に伴う改元。その後、後桜町天皇は 1770 年に後桃園天皇へ皇位を譲ります。
この頃から田沼意次により重商主義的な政策がとられた「田沼時代」が始まります。
また、明和九年には江戸三大大火の一つである「明和の大火」が発生しました。(この時、明和九年 → 迷惑年と言われたって逸話がありますが本当かな?)
エスエス製薬は明和 2 年の創業です。(江戸創業期/250 余年のあゆみ(歴史)/企業情報【エスエス製薬】)
宝暦(ほうれき:1751年〜1764年)
満 21 歳の若さで崩御された桃園天皇による改元。この時期は比較的元号が安定していますね。
宝暦年間は大きな出来事こそありませんでしたが、この頃から文化的な発展が見られました。例えば、化政文化において栄華を極めた浮世絵はこの頃から発展を始めます。
東京凮月堂は宝暦 3 年の創業です。(東京風月堂 風月堂の歴史)
ひとまず
当初の目標は江戸初期(1600 年代初頭)だったのですが、予想以上の分量に負けて、ひとまずここで筆を下ろします。けど多分これから面白くなるところなんですよね〜!大丸や三越をはじめとする呉服屋なんかがまだ登場していませんし!!
次回!になるかは分かりませんが、気が向けば 1600 年代初頭までの残り 20 個くらいについても書きたいと思います。その時は宜しくお願いします。(書いた暁にはこの記事に追記でリンクを貼ります)