なぜクソゲーの動画広告はプレーがヘタなのか(暇潰しゲーの稼ぎ方)(#16)

こんにちは、おぐえもん(@oguemon_com)です。

インスタグラムなどの SNS を見ていると、↓ みたいないかにもクソゲーな広告を目にしませんか?

私はスマホゲーを滅多にやりません。しかし、あまりにも広告を目にするので、どんなものかと試しにプレーしてみました!すると、暇潰しゲームがいかにして稼いでいるのか、その手口が見えてみました。

実際にプレイして気付いた稼ぎポイント

今回、たまたま目に入った「Gun Gang」というゲームをプレイしました。簡単に言えば、自動で前進するプレイヤーを左右に操作して、障害物を撃ち壊していくゲームです。壊した障害物の上にヒトが乗っていたら、壊した時に仲間にすることができて、火力がアップします。

その1:ファミコン級にシンプルなゲーム機能

まず気になるのは、ゲームの機能がシンプルすぎることです。

例えば、このゲームの操作は、「画面を長押ししながらキャラを左右に動かす」というものしかありません。さらに、このゲームはステージを進めて遊ぶタイプのものですが、ステージは一方通行で勝手に進んでいくので、ステージ選択画面すらありません。もはや初期のファミコンゲームです。

しかし、こうした手抜きも「パレートの法則」に則った意図的なものかもしれません。

パレートの法則とは「2:8 の法則」とも呼ばれる法則で、全体の大部分を一部の要素が生み出していることを唱えた経験則です。例えば、あるサイトのアクセスの 8 割は、全体の 2 割のページへのアクセスだといった主張です。

ゲームにおいても、大半の機能がそれほど使われず、ある一部の機能(メインの機能)ばかりが使われているだろうことは想像に難くありません。2 割の利用を犠牲にしてでも 8 割の機能をあえて作らず、開発のコスパを最大限まで高めようという考えが、クソゲーのシンプルさを生み出しているのかもしれません。

ちなみに、クソゲーはストーリーをこねる時間すら惜しむので、ゲームの背景なんて存在しませんし、世界観は無茶苦茶です。そして、翻訳の手間も惜しむので、訳のわからない機械翻訳でいきなりグローバル展開します。

その2:怒涛の広告と"通貨としての"広告

もともとゲームはプレイヤーが直接お金を払ってプレーするのが主流でしたが、今や無料ゲームの存在が当たり前になりました。ビジネスとして無料ゲームをリリースするとき、その収益は「広告」と「一部課金」のどちらかから得る場合がほとんどです。

今回のゲームは、「広告」の道を選んだようでした。クソゲーに愛着をもつ人はおらず、わざわざ課金を選ぶ人が少ないことをわきまえているのでしょう。そして、広告の道を選んだからには、鬼のように広告を挟んでいきます。

ゲームの下部に広告を常駐させるのは当たり前です。操作部に近く、誤クリックを誘発してる感すら匂わせます。そして、ゲームのステージ間にぬかりなく動画広告を差し込みます。動画は 5 秒で閉じることができて、ギリギリ耐えられるラインを突いているのが憎いです。

さらに憎いのは、動画広告を見るとゲーム内の所持金が増えたり、強い武器が手に入ることです。もはや広告を通貨として利用しています。いわば「時間」をお金がわりにもっていくわけです。時は金なり(Time Is Money)を現実社会に具現化したもの、これぞクソゲーの真髄なのです。(このことは、クソゲーが広告で時間を奪うことだけでなく、そもそもクソゲーを極めたところで時間の浪費に他ならないというクソゲーの本質からもお分かりいただけると思います)

その3:どれだけプレイしても簡単なまま

ある程度のステージを進めたら、すぐに難易度が高止まりしました。これも一種の工夫のように見えます。

ゲームをプレイするとき、始めた当初こそやりがいを求めていたものの、ある程度ゲームに慣れると惰性でやっていたという経験を持つ人は結構多いと思います。多少やりがいが少なくとも、前もやってたし…という理由でゲームを続けてしまう心理です。

このゲームは、それを上手く利用していました。最初は徐々に難しくなって何度かに一回ミスをしてしまうものの、ある程度進むと攻撃力の向上と操作の慣れから、ミスをすることはまずなくなります。

ゲーム開発者は、テンポ良くゲームを進めてくれた方がありがたいはずです。なぜなら、ステージ間の動画広告を流す頻度が増えるから。なので、難易度をむやみに上げていくのではなく、"惰性"のラインを見計らってあえて停滞させているのでしょう。ちなみに、難易度を一定にすると、ステージの生成コストが下がる(ステージの使い回しができる)というメリットもあります。

なぜクソゲー広告のプレイはヘタすぎるのか

クソゲーの広告の多くは、プレイがやたらと下手くそです。これは、ビジュアルの格好よさや楽しそうな雰囲気を演出するビデオゲームの宣伝手法にはあまりありません。

私が小学生の頃、友達がプレイするゲームを見ながら、「下手くそすぎて見てられないからちょっと貸して!」と友達にお願いした経験がありました。このように、明らかに自分よりも下手なものを見ると、自分の場合ならより上手にできる自信と、それを証明することによる優越感を得たい欲求が芽生える心理は誰もが持っていると思います。

これを逆手にとって、あえて下手くそなプレイ画面を連続で見せて「私にやらせて」と言わんとばかりにアプリをダウンロードさせるのが、これらの動画広告の手口です。

この広告は、観ている人に良い気持ちや強い関心を与えません。それでも確実に広告をクリックさせる仕掛けがここにあります。

ユーザ第一でないデザインの存在

クソゲーは、集客・プレイ・マネタイズなどに有効なあらゆる手法を駆使します。クソゲーの世界は「アクセス」と「稼ぎ」こそ至高。自身がクソゲーであることを割り切っているので、ユーザに対する良し悪しや自身のブランディングなんて考えません。

かつて、アダルトサイトの運営者とのつながりを持つ開発者の方から、「アダルトサイトの鬱陶しい広告の数々は、「あえて」そうしている」という話を聞きました。ユーザのことを考えて広告を整然と並べた場合と、鬱陶しいように配置した場合だと、後者の方が統計的に有意な差をもって収益が上がるからだということでした。

私は、ユーザの視点に立ってユーザの利便を考えることがデザインの原則だと思っており、それに準じたデザイン手法ばかりを観てきました。たまには、こうした黒魔術的なデザインをしっかりと眺めるのも勉強になります。

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